「銀河英雄伝説 die neue these 激突」がはじまるにあたり、邂逅、星乱を振り返り視聴した☺️
その中で強く印象に残ったことと言えば、ヤンの言葉の、人は命以外のもののために信じて行動し、死が迫った時には命を惜しむということ。(こんなセリフじゃなかったけど意味合い的にこういうこと!笑)
作中、命よりも理想や信念を優先して死を選ぶキャラクターもいたけれど、やはり"死は怖い"というのが健全な普通の人間の感覚だと作者は言いたいのかなと感じた。
私自身、誰かや何かの為に死ぬことはできない人間だと思っていたけど、子供が生まれてからは一変😂子供のためなら死ねる、と不思議なことに何故かそう思えるようになった。それが親という生き物なのだと思っていたけれど、もし健全な普通の人間は何があろうと"死は怖い"と感じるのだとしたら、私は健全ではない異常な人間ということになってしまう😨
動物の中には子供を犠牲にして生きる親もいると聞くし、それが生き物として自然な行動でもあると思った。しかし、子のためなら死ねるという親は私だけでなく世の中にたくさん居ると思う。それがとても不思議で不可解だなと思った😕
アンサーとして、人間は知性や理性を持ち合わせている特別な生き物だから。という理由は私は個人的に受け付けておらず😂人間を特別視して解釈するのはあまり性に合わない。笑
ということで色々考えた結果、昔々にどこかに居た頭のいい誰かさんが子のためになら死ねるという風潮や風土を築いて今もそれが受け継がれているのかなという解釈に一旦落ち着いた。
もしかしたら私だけでなく世の親達が子のためになら死ねると思い込んでるだけかもしれない。土壇場になった時の自分のことは自分にも分からない。まあ自分の命のために子供を差し出すようなことはしないと自分のことを信じてはいるけども😌
そもそも子供を犠牲にして生き延びるということに嫌悪感や罪悪感を感じること自体、死が隣り合わせという環境で生きていないからな気がする。そうも言ってられない時代や場所だって今までたくさん人間の歴史にはあっただろうし…大人が子供の死にに対して口出しできるのは平和な証拠なのかもしれない。
現に自由惑星同盟ではそういうことを言っているような風潮があったけれど、銀河帝国の方ではあまりそういう描写は見受けられないような気がする。まあどっちも平和とは言い難くなってくるとは思うのだけれどね…😭💣
遠い昔の誰かが仕組んだのかもしれない”親”という枠組みに、すっかり私も浸ってしまっていたのかもしれない。と、ヤンの言葉で気付かせてもらえた。
そんな"親"という枠組みを受け入れるもよし、拒否するもよし、他の道を探すもよし。これから私なりの"親"を見つけて行けたらいいなと思う。
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